97/08/03恐怖の体験

 1日より魚野川へ2泊3日で行って来ました。そこで真夏にぴったりの背筋も凍る恐怖の体験をしてきました。その予兆は2日の夜から始まっていたのです。


 夜8時、食事の支度も終わり、これから一杯やりながら至福の時を過ごそうとしたとき、 <<単独で入渓したため、焚き火を熾したり、岩魚をさばいて料理したりすると、このくらいの時間になってしまいます。ちなみにメニューは、「骨酒用の塩焼き1本・刺身(イクラ、白子入り)・岩魚の蒲焼き風・食道と胃袋の串焼き」>>  草津方向の空が、ピカリ、ピカリ。最初は雷かと思ったが音は聞こえない。 出がけに温泉祭りがあると聞いていた時間もちょうど。「何だ花火か」と納得、舌づつみを開始する。


 「うまい!」誰も聞いていないのに、つい独り言。10時過ぎになっても、まだピカリ、いくら草津でも2時間以上も花火を打ち上げる経済力はあるまい。やっぱり雷だと納得し、舌づつみを再開。零時過ぎついに雷雨となり一時中止。テン場は増水しても心配ない場所なので、濡らしたくない物だけタープの下に入れ一安心。雷の音と光を肴に再開。午前1時過ぎには酒も切れ就寝する。この時点では雷に対して恐怖心は無かったのだ!


 それが始まったのは、帰路、魚野川支流小ゼン沢を遡上し、後20分でオッタテ峠に到着する所からだ。雷雨となった。雨合羽を着、とにかくオッタテ峠まで行き、そこで雷が通り過ぎるまでやり過ごそうと考え遡上を再開。オッタテ峠に着いた頃には雷も通り過ぎ晴れ間も見えた。「やれやれ」タカノスの尾根は下り一方で約1時間10分。雨合羽を脱ぎ下り始める。


 樹林帯を抜け一ツ石付近で鳥の鳴き声がやむ。と、急に風が強くなり暗くなった。バシ!ドッカーン!ビシッ!ドーン!。付近はやせ尾根の笹原で逃げ場がない。ザックを投げ捨て笹下の中へ潜り込む。大粒の雨が殴りかかる。雨合羽を着る暇もない。いや、恐怖心から立つこともできない。立てば間違いなく避雷針。どうせ落ちるのなら上方に放り投げたザックに落ちてくれ。


 10分もすれば通り過ぎるだろうと濡れるに任せたが、20分たってもその気配なし。伏せている腹に地響きが響く。そのうち寒くなり恐怖心と重なって体が震えだすが、山と渓谷社発行の「生と死の分岐点・山の遭難に学ぶ安全と危険」と題する本の「落雷・自らが避雷針にならないために」の項を思いだし、どうにもならない事を察する、どうせなら仰向けで死のうと覚悟すると、今度は、コツッ、コツッ、ビー玉大の真球に近い雹だ!そのうち、ゴッツン、ゴッツン、ビー玉大の雹が上空で結合しゴルフボール大に!「イッテー」再び俯せになり両手を後頭部に。もう最悪。落雷・寒さ・痛さ、の三拍子。


 もうやけくそ!この雹を写真にとってやろうと使い切りカメラを取り出すが、あまりに暗いためフラッシュを焚かなければ写らない。「まてよ、フラッシュのチャージか、焚いた瞬間、大電圧が生じ、落雷を誘発するのではないか?」


 くわばら、くわばら。もう、何があっても鳥が鳴き出すまで起きないと心に決めた。(もう、もう、牛みたい)


 やはりいつまでも続くものではない、雷雨も過ぎ鳥が鳴き出した。「やれやれ」と立ち上がり、証拠写真をパシャリ。風上の白根方向をふと見ると、真っ黒な雷雲がまっすぐこちらに来てるではないか。「ヒエーッ!」、「もう、ヤ!メ!テー!」、死にものぐるいでリュックを担ぎ韋駄天のごとく駆け下りる。樹林帯に入ったところで、ドッカーン!もう走れない、でも危険度はぐっと下がり、ほっとする。やがて車に到着、午後5時。40分近く伏せていたことになる。以上、真夏にぴったりの背筋も凍る恐怖の体験でした。


ゴルフボール大の雹
ゴルフボール大の雹


Date: Tue, 21 Oct 1997 From: Hayasi   標高の高いところの雷は、自分が雷の中にいるわけですから怖いですね。山伏峠にある小屋の中で雷を経験しましたが、それでも怖かった思い出があります。ゴルフ場で死んだ人もいましたが、無事だったのは、神の思し召しだったのかもしれません。

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