98/05/31反省も込めて其の二

2,山からの声

2-1,97/09/18「魚野川で不明の信大生、遺体で発見」

2-1-1,<<メディア批判>>

 考察で、渓流を紹介しているメディア批判をしましたが、やはり責任転嫁ですね。いくらメディアが煽っていても最終的には自己責任で、まぁ、せいぜいリーダーの資質を問われる程度でしょう。


 当時の私の論理でいけば、先の戦争を容認した私たち国民に何ら罪は無いこととなります。


 当時言論統制下で、まともなことを言う人々を片っ端から留置場に送り込んだり、内報者を奨励する愚劣な指導で恐怖に追い込み洗脳した事実(オウム真理教もこの手を使いました)・・・結果、普段穏やかで善良な人々を人殺しに荷担させてしまい、生き残った人たちに大きな負債を負わせることになってしまいました。


 大きなうねりになる前に事実を見抜くことが大切な事を教えてくれた歴史でありました。メディア批判して責任転嫁する、その図式に誤りがあったと反省しています。


2-2,97/10/24「過去の資料から」

2-2-1,<<追加事項>>

 意見書を提出してから秋に一度、村内で遭難対策会議があり、出席しましたが(ここで掲載するほどの内容は無かった)、現在に至るまで何の音沙汰もありません。よって、改善する意志がないと判断しました。


2-3,98/02/08「立入禁止」

2-3-1,<<勉強中>>

 危険地帯にだれも行かなくなれば当然事故はゼロになるでしょう。が、それでは管理された時代遅れな学校教育論で、賛成できない。確かに自己責任を放っておいて、管理責任ばかりを問う私たちにも責任はありますが。


 だからといって「あそこも危ない」、「ここにも行ってはいけない」じゃあ、私たちは「危険」の意味や、察知する能力を何処で学べばいいのでしょうか?確かに机上のトレーニングも必要です。しかし、実際に役に立たない机上論が山の中では多くあり、その場その場に応じて柔軟に対応する方がはるかに安全であることを身を持って経験しております。


 どんどん登り、山の知識、経験を増やすことによって、少しでも危険を減らそうと努力するポジティブな姿勢が「なにもしない事」の次に安全であると考えています。


 98/03/20「なんたることか!」の所でも問題に取り上げましたが、なかなか奥深い問題で、いろいろ調べていく内に「やはりどう考えても正面切っての話し合いは不利」、「ましてスノーモービルとなると論外」、「論議の対象にもならない」と考えているのが現在の心境です。


 結論的には白神山地問題での林野庁、環境庁、各自治体の対応や答申が、今後の基本となって行くだろう。この方面の情報に敏感になることが肝要だと考えます。


 しかし、権力、金、縄張り意識、意地、が絡むとこうも醜い争いになるのかと考えさせられました。真剣に取り組まれている人たちに対して失礼と解っていますが、「まるで子供の喧嘩」と感じてしまうのは、私だけでしょうか?


2-4,98/02/19「タヌキ」

2-4-1,<<追加事項>>

 二月の半ば頃から二匹ともいなくなりました。


           つづく。


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