書店で何気なく手にした雑誌に見慣れた文字が、「魚野川」しかも「上信国境」、うん、間違いない。
「ついに出てしまったか!」思わず呻るようにつぶやく。
レジに向かって体が動く。早く内容を確かめたい気持ちを抑え、帰路車中で昨シーズンのことを思い出す。
「あっ、」鮮やかに脳裏に浮かぶ。昨年8月2日の事だ。
奥ゼン沢出合下流で出会ったグル-プに、渓流愛好者では有名な人で釣りの紀行文等を書いている人が居た。
名前は中尾章男。
車を止め確認する。
「あたーりー」。
あの風貌は個性があるのでよく覚えている。
確かあのときの会話は、
下流に向かって大岩からヒョイと飛び降りようとした瞬間、黙々とコッヘル飯をかき込むグル-プと遭遇。
じねん:「オー、びっくりした。チワー」
「あれ、どっかで見た人だナー」
中尾氏:笑いながら「これから下流に下りるんですか?」、
「それなら私たちが魚を散らしてきたので釣れませんよ」
「一緒に釣り上がりませんか?」
との優しい誘いに。
じねん:「沢いっぱいに並んで遡行した訳ではないでしょう?」
「晩飯には影響ありませんよ。ほんじゃー」
と、むげにも断る。
実は、前言の通り大勢で釣り上がるより、時間をおいて一人で釣り下がった方がよい、と判断したのと、以前自称名人に言われたことを思い出したのだ。
「釣りッてーのは毛針のことを言うんだよ。けーばーりッ。餌で釣るのは子供の遊び!」と、
渓流釣りに日の浅い私はシュンとなった覚えがある。依然私は現地調達型餌釣り派で、アマノジャクだから、なおさら変えようとしない。
よく見ると中尾グループは全員テンカラのようで、毛針の渓と言われている魚野川では提灯釣りの私には不利である。
まあ、こんな理由で断った。しかし後で、彼らの釣りを見るだけでも価値があったのに断ったのは、軽率だったと思ったのを覚えている。
さて、家に帰りその雑誌を読む。まさにあの時の紀行文であった。97/08/03「恐怖の体験」に記した内容とも一致する。
しかし喜んでばかり居られない。紀行文の内容が、首都圏から比較的近く、3泊4日で、のんびりと、しかも車を利用する際、周遊コースがとれ、ヒルもいず、さらに、たおやかな沢なんて表現されれば、どどっと大勢入渓するのは火を見るより明らか。
さらに紹介されているコースは、私も1シ-ズンに一回は実施するコース。やはり、考えることは同じと実感する。「山は誰のものでもなく、誰が利用しようと勝手」と決め込んでいる私でも、雑誌で紹介されたとなると心中穏やかでいられない。
雑誌の内容全般は、まじめで好感もてるのだが、雑誌を購入する人の中には、単なる入渓データとしてか捉えられない人がいる。その種の人は乱獲、破壊につながる行動をしやすく、その集積で、ますます俗化し荒廃する危険性をはらんでいる。
この点が、杞憂と言われようが、思わず「ついに出てしまったか!」と思った理由です。
日本を股にかけ、釣りを楽しんでいる人たちと違って、貧乏な私にとって六合村周辺でしか行動できないハンデが、
「あまり人に知られたくない」と言う気持になってくるのです。
やはり、これも、縄張り意識ですかね?
なかなか辛いところです。
しかし、地図を読みとれ、自分の力量を知り、雑誌、ガイドマップ等に頼らず、入山・入渓される人はどんどん来て下さい。あまり人気(ひとけ)のない六合村周辺は良いところですよ。